1952-06-18 第13回国会 衆議院 議院運営委員会 第62号
長 林 讓治君 副 議 長 岩本 信行君 議 員 飯塚 定輔君 議 員 押谷 富三君 議 員 高塩 三郎君 議 員 高田 富之君 議 員 八百板 正君 事 務 総 長 大池 眞君 ――――――――――――― 六月十七日 委員柏原義則君辞任
長 林 讓治君 副 議 長 岩本 信行君 議 員 飯塚 定輔君 議 員 押谷 富三君 議 員 高塩 三郎君 議 員 高田 富之君 議 員 八百板 正君 事 務 総 長 大池 眞君 ――――――――――――― 六月十七日 委員柏原義則君辞任
同日 委員柏原義則君、鹿野彦吉君、小西英雄君及び 首藤新八君辞任につき、その補欠として田渕光 一君、玉置信一君、原田雪松君及び根本龍太郎 君が議長の指名で委員に選任された。
鉄男君 出席国務大臣 文 部 大 臣 天野 貞祐君 出席政府委員 文部政務次官 今村 忠助君 文部事務官 (調査普及局 長) 久保田藤麿君 委員外の出席者 専 門 員 石井 勗君 専 門 員 横田重左衞門君 ————————————— 六月十四日 委員柏原義則君辞任
同日 委員柏原義則君辞任につき、その補欠として尾 関義一君が議長の指名で委員に選任された。 五月二十一日 委員苅田アサノ君及び岡田春夫君辞任につき、 その補欠として今野武雄君及び中原健次君が議 長の指名で委員に選任された。 同月二十二日 委員尾関義一君及び船越弘君辞任につき、その 補欠として黒澤富次郎君及び、犬養健君が議長 の指名で委員に選任された。
稲田 清助君 文部事務官 (社会教育局 長) 西崎 恵君 文部省事務官 (調査普及局 長) 関口 隆克君 委員外の出席者 専 門 員 横田重左衞門君 専 門 員 石井つとむ君 ————————————— 五月十八日 委員柏原義則君
外務事務官 (政務局長) 島津 久大君 外務事務官 (條約局長) 西村 熊雄君 通商産業事務官 (通商局物資調 整課長) 榊原 二郎君 経済安定副長官 福島 正雄君 專 門 員 佐藤 敏人君 專 門 員 村瀬 忠夫君 七月三十日 委員柏原義則君辞任
) 辻田 力君 文部事務官 (大学学術局 長) 稻田 清助君 文部事務官 (調査普及局 長) 關口 隆克君 委員外の出席者 議 員 生田 和平君 專 門 員 石井 勗君 ————————————— 七月二十九日 委員柏原義則君
同月三十日 委員柏原義則君辞任につき、その補欠として小 川原政信君が議長の指名で委員に選任された。 十二月一日 委員寺島隆太郎君辞任につき、その補欠として 保利茂君が議長の指名で委員に選任された。 同月十六日 理事青木正君、小川原政信君、丹羽彪吉君及び 保利茂君の補欠として青木正君、小川原政信君、 丹羽彪吉君及び保利茂君が理事に当選した。
小川原政信君 甲木 保君 木村 公平君 佐藤 重遠君 千賀 康治君 森戸 辰男君 渡部 義通君 出席政府委事員 文部政務次官 平島 良一君 文部事務官 (調査普及局 長) 辻田 力君 委員外の出席者 專 門 員 横田重左衞門君 十一月二十九日 委員柏原義則君及
順三君 勝間田清一君 西村 榮一君 水谷長三郎君 武藤運十郎君 小野 孝君 川崎 秀二君 中曽根康弘君 福田 繁芳君 風早八十二君 志賀 義雄君 野坂 參三君 深澤 義守君 奧村又十郎君 小坂善太郎君 圖司 安正君 山本 利壽君 今井 耕君 平川 篤雄君 松本六太郎君 黒田 寿男君 世耕 弘一君 決算委員 柏原 義則
○政府委員(柏原義則君) 最低線というところが御質問の要点だと思うのでありますが、六・三制を完成させるためにはどのくらいのものを考えなければならんか。これは各角度から見まして、日教組が調べたのでは二千億円、或いは一千億円要るとかいうふうに、立場によつて大分違うと思うのですが、文部省は六百億、五百億見当で、これも正確なものかどうか。
○政府委員(柏原義則君) 勿論政府委員としてでありますが、政府委員と雖も党から完全に離れた、理論上は別でありますが、その予算を出す前の熱意といたしましては、党を背景として動いておりますから……。
林 百郎君 出席國務大臣 遞 信 大 臣 三木 武夫君 出席政府委員 遞信政務次官 椎熊 三郎君 遞信事務官 小笠原光壽君 委員外の出席者 議 員 森山 武彦君 議 員 坪川 信三君 議 員 山崎 岩男君 專門調査員 吉田 弘苗君 八月五日委員柏原義則君辭任